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保福院

保福院

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いかに仏教の書物を読んで、
仏教の知恵が身に付いたとしても
、それは単なる知識であって
仏道はそこから起こってこない。


禅の修行はどんどん壁を作ってやるんです。

そこで、ぶつかってUターンせざるお得なくなる、
      そう言うUターンの体験と言う事が大切なんです。

中 略

壁にぶつかって
   猛烈な座禅して
     生きるか死ぬかと言う坂を越えて
        ああ、ここにい生かされていたわわいと、
                 気づかなければいけない。


宗教体験としての回心
と言うものがなかったならば、
真の宗教的な生活は始まらない。







言 葉 の 経 緯 。〔引継ぎがされていないので、今までの価値観、固定観念は通用しない。〕
役について。本堂内の管理。行事の参加者対応。〔初集会、施餓鬼、達磨忌〕年賀廻礼、棚経。施餓鬼。 
法要について。葬儀について。墓地の管理について。晋山式について。 等、   〔儀式として引継ぎ〕
※同じ環境においてほかの寺院は行っている。→ 強制ではないが伝統が受け継がれない、→寺院でなくなっていく。
各問題に対して、総代長を中心に、担当者〔役員を割り振って〕を分担して、話し合い、対応してもらいたい。
住職として、お願いした事を 拒否されれば(無視されても)それで話は、終わりです。(次の役員にお願いします。)
◎今後の寺院運営 一般の寺院の維持管理は、多くの場合、檀家の協力によって行われている。
檀家のなかでは、取りまとめ役である総代、総代を補助する役割の世話人が決められている。
総代と世話人等を中心とした檀家の手によって、清掃や修繕などが行われ、寺院は維持管理されている。
寺院を維持管理する檀家の担い手が少なかったり、寺院への関わりが消極的だったりする場合、寺院は荒れていく。
↓   ↓   ↓    ↓   ↓
お寺の役員のなりてが無い中、無理をお願いして〔護持会の会合で〕役員をお願いしている。
色々な事情により、協力出来ない方も増えてきている中、協力頂ける方に協力をお願いする。
次世代の跡継ぎが無く〔墓だけ残り〕、お寺とのお付き合いがなくなる、方が増える可能性大。
儀式参加も、役も参加する方は同じ顔ぶれのようです。(都合が悪い人は参加しなくても良いが定着。無理して参加する事無いに変化)役(掃除)について→坊さんがいるんだから坊さんがやれば良い、又は役員がいるんだから役員にたのめば良いとの意見あり。
護持会は 檀徒皆に 割り振り やるべき との 意見も ある よう です。
又、仕事を持っている人は生活があるので協力出来ないとの意見あり。やれる人だけでやれば良いのではとの意見もあります。
当方としましては、今後を見守りたいと思います。難しいかも知れませんが、現状維持でいける事が望ましいと思います。
以上


6日、福聚院総代、鈴木和美氏宅出向き。本山よりの提出書類(本山報告書類)を渡す。
期日までに出して下さいとお願いする。長昌院施餓鬼出向き。12時四十分出向き。2時より始まる。山門が倒壊した件で農協の保険に入っていれば保証されるとの話があったので、農協に確認名前が見あたらない。保険証書の名前と、対象の建物を確認してから問い合わせしてほしいとの事。萩坂幸雄氏に電話。農協の保険について筆頭総代、久保田氏に電話するがつながらず。連絡つかず。
(中略)保険について問い合わせする。保険には入っているとの回答をえる。萩坂尚己氏に確認。との事。土屋大治氏へ電話。連絡つかず。(中略)再度連絡建物保険について、農協より保険について聞かれる。名前が見あたらないとの事。土屋氏返信農協の保険証書は護持会で預かっているとの事。護持会での管理をお願いする。詳細不明の為、(護持会管轄の問題なので)対応は護持会に任せる。
7日、メール便出す(施餓鬼欠席者)。8日、二階掃除。11日、二階掃除。12日、境内地の見回り。
13日、伊東方面棚経出向き。15日、寒川方面棚経出向き。19日、二階掃除。
20日、保福院護持会長、銀川氏、より電話。
役員会を行いたいとの事。9月13日午後7時に予定。詳細不明、
21日、境内掃除。土屋大治氏に電話。役員会の確認、用意する物あるか。必要があれば用意する。(護持会任せ)人数、6人位との事(総代と護持会役員)9月13日、午後7時との事。久保田豊氏出向き。不在の為、話出来ず。午後6時半頃、市役所より(本日)届いた、書類を(筆頭総代である、久保田氏に)届ける。歴代の筆頭総代に対応をお願いしている。 通常は護持会経由で総代さんと話し合うようになっている用だが、特に重要な問題は(護持会の管轄では無く、総代、責任役員の管轄との事)直接対応をお願いする。
25日、二階掃除。29日、二階掃除。


◎9月2日、国清寺施餓鬼。11時、導師無しで行う。国清寺の今後について。黒石氏の復帰は難しい。
喉に穴を開け痰の吸引。鼻から管を通して流動食注入。国清寺の今後について、意見を出し合う。
奈古谷地区の寺院檀徒は高岩院さんに兼務をお願いしたいとの事。大宝寺、臨江寺、宗務支所長、宗会議員意見。
黒石氏が遷化するまで現状維持で、との事。国清寺の行事の導師は長昌院さんが行う。雑務は高岩院さんが行う。 2人で、管理維持運営する。国清寺の件はその都度(開山忌1月13日、施餓鬼9月2日、行事の後で、区内寺院に)報告あり。5日、二階掃除。8日、彼岸資料作成。9日、境内地見回り。10日、封筒詰め、秋彼岸、円覚。
11日、本堂掃除、
13日、役員会午後7時。7時集合、終了8時50分。支度、特に総代、護持会からの指示が無し。
護持会、支度無し。何も出さないわけにはいかないので、お寺にあった、お茶缶を出す。
(何の用意もいらないと言われても、その場になればそうは行かない。と言う事でしょうか。)
来山、総代、久保田 豊氏。山邉公夫氏。護持会、銀川 博氏。萩坂幸治氏。土屋大治氏。欠席、総代、山本英明。
確認事項。 →  住職は、保福院の全て(規則、財産問題、等)の件を久保田豊氏へ話をする。
久保田氏は必要に応じて、山邊氏、山本氏相談する。久保田豊氏は諸問題対応の為→護持会長、銀川博氏へ話をする。   護持会長は、その状況により、それなりの対応をする。今後役員において行う件。諸問題は今回出席していない、     役員を入れて話し合う。(永代供養規則の検討。等)検討すべき事を話し合う。
すべての問題は 久保田総代、(の発言、行動)を通して 対応する。護持会へ、総代から、指示がない場合はそのまま?。
14日、福聚院総代、工藤氏来山。戒名の確認(過去使用記載)。達磨忌のお願い。10月4日5時半。予定
15日、梅原氏来山。境内掃除に来山。昼頃~夕方まで。16日、二階掃除。 19日、二階掃除。
22日、二階掃除。23日、お参り多数。26日、二階掃除。27日、本堂掃除。30日、二階掃除。



◎10月1日、塔婆たきあげ、午前六時半~午前九時半頃まで。歓喜寺(三島)より手紙届く。
内容。
謹啓上(挨拶文面省略)皆様のお陰を持ちまして、この度、(副住職、義顕の)伝法、晋山式を
来年五月六日に厳修の運びとなりました。
つきましては、衆評を来たる十月二十三日午後七時より行いたいと思います。
万障お繰り合わせの上、ご出席下さいますようお願い申し上げます。
公私とも共、ご多用の処、誠に恐縮でございますが、何卒よろしくお願い申し上げます。 敬 具
歓喜寺住職 泰顕 九拝

3日、円覚寺開山忌欠席。本堂掃除。
4日、福聚院達磨忌、午後5時半予定。心経、延命十句観音経。本尊回向。世尊偈、大悲、座禅和讃。ダルマ忌回向。お参り多数、法要後総代挨拶、献杯食事。総代交代の話あり。詳細について、当方関知ぜず。保福院達磨忌支度。
5日、保福院達磨忌、2時半。持越、5人。八幡上、4人。八幡下、8人。 合計17名来山。
会合内容抜粋。 役員規程の説明。永代供養の件。住職より検討事項。掃除、役の件、等。
護持会、境内掃除午前8時予定。雨の為、取りやめ。
6日、二階掃除、杉山商店来山、ボイラーを見に来る。(ハイブリット給湯器、七十万円位~、今後検討。)
10日、二階掃除。14日、境内見回り。16日、境内掃除。17日、二階掃除。20日、二階掃除。
23日、午後七時、歓喜寺出向き。観喜寺晋山式予定。平成二十七年五月六日午前九時挙行。
習礼、第一回四月六日午後七時。習礼、第二回四月二十九日午後七時。習礼、第三回五月五日午後一時。
プリント配布(役配等記載)。内容省略。
27日、二階掃除。28日、本堂掃除。29日、四区研修会欠席。護持会長に資料渡す(住職の立場、寺の現状報告)。
31日、冷川永徳寺(中伊豆仏教会長)より手紙届く。田方仏教会再編の要望に対する。意見書の返信をとの事。



◎11月1日、永徳寺に手紙出す。中伊豆仏教会事務局、永徳寺、鈴木栄一氏へ田方仏教会の意見書に対する。問い合わせに対する。返信する。保福院は、護持会中心で寺の維持運営をしているので、他の寺院と同等の対応は出来ない。11月26日に田方仏教会評議員会があり、意見書を報告するとの事。
3日、高岩院出向き。午後8時半頃。観喜寺、晋山式の打ち合わせ書類。研修会の行事書類持って行く。
4日、銀川氏お墓の掃除来山。永代供養塔建設予定地掃除。
5日、保福院永代供養塔、地祭り午前10時。永代供養塔、地祭りする。→(会計より支度代等として5千円受領する。)参加者、山口石材社長。総代、久保田氏、山本氏。護持会、銀川氏、土屋氏。住職、深澤宗仁。
雑談、永代供養の完成時期、山口石材社長、工事にかかって一ヶ月程度との事、(順調に行って)今年中に完成予定。 
永代供養の管理。(供養の手配、永代供養名簿、過去帳は護持会で管理してもらう。) 慣例では、護持会にお願いする。
護持会は、檀徒割り当ての掃除(奉仕掃除、役)の中に、永代供養塔の掃除も含むのか検討。 
住職、お墓はお参りに来て頂いた時、(外部からの人も納骨する見込みなので)いつも綺麗にしてほしい。
護持会、いつもきれい出来るとは限らない。管理の方法も検討か。
花は造花で良いのでは、墓地に除草剤をまいて草の生えるのを押さえれば管理が楽ではないか。等の話が出た。
墓地規則、永代供養塔使用規則。規則の内容を検討して頂き基本作成、その都度問題が起きた時、役員の判断で、
規則の変更等で対応して頂く。永代供養塔完成、時に儀式を行う予定。時期は未定。
永代供養塔納骨希望者は、総代、久保田氏。護持会長、銀川氏。に話をして下さい。総代と護持会で、対応を検討する。次の役員会は、11月30日午後6時に行うとの事。  初集会(役員会)は1月18日午後1時予定との事。
土屋護持会、会計、来山。立て替え分お金持って来る。四万三千円。
6日、土屋会計来山。貯金口座の件で来山。お墓を見に行く。7日、二階掃除、本堂掃除。
8日、瑞鳳(深澤龍宗)和尚命日忌。11日、境内地見回り。12日、円覚寺、万年会欠席。
14日、本堂掃除。15日、山口石材より電話、永代供養塔建立、お墓に入れる年号、文字の事で電話あり。
総代が責任者、護持会に任せてあると返信。土屋氏に話してみるとの事。16日、不在の間に、境内の掃除を誰かしてくれていた。
19日、山口石材来山。永代供養工事始まる。護持会長に連絡。土屋氏より報告有ったとの事。土屋氏も護持会長も忙しいので工事に立ち会えないとの事。二階掃除。
20日、境内地掃除。山口石材工事来山。(永代供養塔建立)午前8時過ぎ~(雨の中工事続行)夕方まで。
27日、二階掃除。 28日、本堂掃除。
29日、関野総代さん来山。鈴木和美氏、工藤和義氏、来山。役員改選届けを持って来る。
兼務住職の署名、印する。(引継の役員を承諾する)宗務支所(修禅院)に届けて来るとの事。
その他雑談、
本山提出の会計報告等。(連帯責任、兼務住職支払い責任)役員、護持会の収入が少ないので寺院運営苦慮。よって、兼務名義の負担金は、お布施でまかなっている。葬儀、法要、年賀、付届、棚経、施餓鬼布施等、何れかをいらいされた方のみ、お付き合い(檀徒扱い)。3年間音信不通の場合(信徒扱い)又は離壇者扱い。檀徒名簿から削除、連絡はしません。
名簿の確認は春に行っている。変更が有る場合はへ変更後の名簿を提出して頂いている。名簿を参考に、郵送するかどうかの判断としている。価値観の相違で、規則の解釈もかわって来ている。無縁の墓地も対応しなければならない。
※寺院運営について、
協力してもらわない方の分まで、協力して頂いている方の負担で、支えて行かなければならない。
現状維持での布教活動が難しくなって来ている。外部からの経済的負担が増えて来ている。
福聚院は寺格三等地、(過去の役員が寺格相応の負担承諾。→本山より三等地として認められる。)
それなりの負担をも求められている。
兼務住職として、前任者(三宅氏)との話し合いが出来ていない為、後任者に対しての引継が出来ない。
前任者に引き戻して(隠居の為)の話も出来ない。
縁が切れたかたちとなった。(規則が改正され引継が難しくなった?。)規則による、外部からの査定があるもよう。
30日、保福院護持会役員会。久保田 豊氏来山、11時半頃。永代供養塔の工事の状況見に来る。
土屋大治氏より電話、役員会お茶の支度の確認。(内容省略)
11月30日午後6時より。 出席者、久保田 豊氏、山邉公夫氏、山本英明氏。銀川博氏、萩坂幸治氏、土屋大治氏。萩坂幸雄氏
土屋光雄氏、 佐藤茂氏、萩坂尚己氏、日吉矩利氏。※開場支度、お茶出し、深沢(会合傍聴)。
配布書類。
①平成27年事業計画(案)
(内容省略)
1月18日、27年度初集会(役員会1時)2時。
3月8日、お寺の清掃出役(一回目)8時~。(雨天の場合は3月15日)持越区及び役員
7月19日、お寺の掃除出役(二回目)8時~。(雨天の場合は7月20日)八幡下地区及び役員
8月4日、施餓鬼法要(役員会1時)2時~。
9月6日、お寺の清掃出役(三回目)8時~(雨天の場合9月13日)八幡上地区及び役員
10月5日、達磨忌(役員会1時)2時~。
11月29日、役員会午後6時より。
※清掃の件、本堂回り及び新墓地(墓地管理料を受領している墓地?。)永代供養塔の清掃。
担当日当日出席できない檀徒の方は別の日で結構ですので、年に1回は参加してください。 ※参加状況を見て今後対応を検討する?。
②役員会、初集会議事(会計)
(内容省略)
特別会計の件。永代供養塔を口座より支払い。護持会費。貯金、現状維持。晋山式特別会計。保福院護持会名義で管理する。
六仙山会計。円覚寺関係の納めを切り替えるか検討。
初集会、役員分担
案、司会、誰にするか。挨拶、住職。挨拶、総代長。議事、司会、総代長。事業報告、護持会長。事業計画(案)、護持会長。
会計報告、護持会会計係。質疑、協議事項 終わりの言葉、護持会副会長。
初集会会費、千五百円。 役員手当、総代長、護持会長、護持会会計、→支給?。

③臨済宗円覚寺派保福院、護持会会則(案)
                     平成26年9月17日
目的
1、この会は臨済宗円覚寺派の教義を広め儀式行事を行い、保福院の目的を達成のための業務を行う事を目的とする。
2、年三回の会合(1月、8月、10月)を開き会員の親睦を図る。3、年三回の寺院周辺の清掃活動を行い寺院維持管理を行う。
4、この会には以下の役員を措く。
地区代表役員。持越地区1名。八幡上地区1名。八幡下地区1名。
護持会。 会長1名。副会長1名。会計1名。
地区役員、評議員各地区1名(計3名)、世話人各地区1名(計3名)、監事、2名、ふれ番、各地区1名(計3名)

尚、必要に年数回の役員会議を行う。    以上

④平成25年12月~平成26年11月まで。保福院布教交際費支払い内容(住職分)覚え書き。(内容省略)査定して頂く。
査定許可が出たものは護持会で負担。慣例で領収書と交換で渡す。  その他、雑談。

追記。
12月1日、土屋大治氏より電話。11時半過ぎ頃連絡。護持会で負担出来る分の領収書を、用意してくれとの事。午後出向くとの事。
午後3時前に来山、領収書査定。護持会負担の分(円覚寺関係負担金、仏教会負担金、浄化槽の掃除代等)のみ持って行く。
12月2日、護持会会計、来山。
11時頃、円覚寺関係、仏教会関係、寺院経費(16万数千円)並びに、維持管理費(2万数千円)の一部を護持会にて負担して頂く。
8月4日には護持会より、管理費10万円。お花代3千円。お礼5千円。を受領している。
経費を抑える為に、本山行事や、地域の寺院行事に欠席(出席の場合、参加費用がかかる)しているが、毎年経費がかかる傾向にある。




◎ 平成二十五年三月伝法晋山式予定。

昭和五十七年より計画。(延期)事業等、庫裏新築。
平成二年計画。(延期)諸問題発生、総代本山で向き相談?。
平成十九年計画。(延期)10年後先送り、10年後に行う晋山式  事約束。
元となる文章、「幻々集」。
幻住派宗制?。→、宗教上の諸制度、一宗門の制度事項。
幻々集、幻住派(国清寺末)宗制→理念を顕した文章。
理念を顕すための条文は不明。(関係寺院、話し合いによる合議にてその都度決定?。)
伝法式は、幻住派の宗制?。(幻々集)に含まれる事項。

儀式(伝法式)を行う前は、立場的には看護の扱い沙弥職同等。
前任者がいて、その立場が保たれる。
前任者が引き継ぎをしなければ、今の立場は存在しない。
住職がいなくなったら、副住職が存在できないのと同じ。
話は聞くけど協力は出来ない。
話される事、事態迷惑との人もいる。
話した事も、何も無かった扱いの状況?。→対等な立場では無い。
対等な者(伝法の儀式を行った者)同士が話し合い、話が成り立つ。

寺院運営については、足立管長のご指導により、
円覚寺正伝庵にて、直接すべて総代に任せろと言う事になって

平成二十五年三月八日又は三月十五日を予定。
三月八日は保福院開山忌。三月十五日は保福院創立記念日。
師家には興聖寺和尚、三宅一道師。
証明師には、徳隣院和尚、黒石徳翁師。
にお願いする。
伝法式の件で、総代が徳燐和尚に相談した処。
保福院、前兼務住職、興聖寺和尚にお願いしなさいと言われたとの事。
法を伝える立場の寺との事。
檀徒総代が、三宅師、宗務支所長、関係寺院に、
上記の日程にて(案)、手順を相談する。平行して資金を貯めて行くとの事。
5月6日、観喜寺、伝法晋山式の後、宗務支所長、修禅院、安藤師より、
控え室にて困った事があっら相談(話聞きます)との事でしたが、当方が話す立場では無いのは今までとかわらないと思われる。対等の立場(相談)でも無く。
色々なお寺の問題は、総代を介して(色々な方に相談)色々な話をする事(慣例)になっている。過去から現在までそれで来ている。
お寺をもり立てるのは檀徒、檀徒の代表が総代、住職の代わりはいくらでも有るが
檀徒が居なく無れば寺は維持出来ない。→寺院運営の代表は檀徒総代、三名。


◎  寺院 運営 経緯、現状(伝法、晋山式の扱い)資料として。
( 深 沢 宗 仁 か ら の 見 方 、引 き 継 ぎ 者 へ の 資 料 )
以下の文章の内容については、区内のお付きあいがほとんど無いので、不確実な情報です。
(師僧との縁薄く、直接話される対象の寺では無い為)人の話の又聞きがほとんどです。
区内、内規(幻住派)での(伝法晋山式、師家より新命和尚に幻住派の法を伝える)の扱い不明。
国清寺末、(円覚寺派四区)伝法式は、円覚寺派宗制で言う所の、以下の部分と思われる。?
第190条、立班垂示式。⇒法系相続の儀式挙行。→その後、晋山式。
第191条、垂示式未履行による欠格。⇒区内に於いては対等の立場でない?。
第192条、略式開堂⇒×。伝法⇒国清寺末、(円覚寺派四区)に於いて、普応国師の法を嗣ぐ儀式。
行う事前提の行事(外部からの干渉介入拒否)?。本山円覚寺並びに、管長様も認めている行事、?。
衣、血脈、払子、等。師家(師僧より)五物を(弟子)新命和尚へ受けを渡す儀式。
⇒ 「幻々集」 暗記。 儀式の内容等が、記された、幻住派継承者が、前任者より引き継ぐ本。
協力関係寺院に引き継がれた、関係資料、対象者に配布。→DVD等の映像も参考にするらしい?。
衣(法)の引き継ぎ儀式をして、幻住派の法を嗣いだ住職として地域(幻住派)寺院の仲間に入る。
地域の問題解決、儀式を行った寺院中心に、慣例で合議で決定。 →宗制の扱い?。
衣(法)の引き継ぎ儀式(伝法式)が行われない場合は、幻住派の法を嗣ぐ事が出来ず、幻住派の僧の仲間には入れ無い、?。近年では、周福寺和尚(沼端氏)は晋山式のみで、(法類、興聖寺、養源寺。組寺、梅龍寺。相談?。)伝法式は行っていない。保福院宗仁、→師僧、(興聖寺、三宅氏)。法類(福聚院、高岩院)。組寺(徳隣院)。檀徒総代が、高岩院(黒石氏)に相談→、手順をふんで、師僧、興聖寺(三宅氏)にお願いしなさいとの事。?
総代が、地域の寺院へ何回出向き、相談で資金(伝法式の準備)を貯める事、決断したらしい。(弟子)保福院、宗仁の〈紫〉衣は、(師僧)興聖寺、三宅氏に(儀式の為に献上)渡してある、師僧の判断により、儀式が済まなければ(幻住派では、沙弥職同等、?)法階もあげられず、法階をあげなければ、紫の衣も着て法要儀式が出来ない?。→沙弥職同等の扱い?。師僧が、弟子(保福院)の伝法式を行う事を拒否した場合?。区内(幻住派)の内規では、他の者が保福院の衣も引き継ぐと言う事は、法を嗣ぐと言う立場になり、法〈衣〉を引き継がない宗仁は隠居する事になり、法を引き継いだ者がかつて、三宅氏が兼務していた寺、福聚院、保福院、に法を伝える立場となる?。 
※興聖寺、三宅一道師は法類である周福寺の伝法式を行っていない。周福寺は晋山式のみ行っている。
儀式を伝える事により地域の和合と宗派の威厳が保たれていると言う事らしい。

伝法晋山の儀式をやらなくても、何の問題無く対等な関係でお付き合い出来れば〈隠居しなくて〉良いが、宗制に無い事で、色々対応を迫られ、慣例、その都度の、合議で行われる為、問題が起きた場合の責任者不明。その事により、価値観の相違により、格差ができ、お寺や檀徒が、差別されないかを懸念している。
出来る間は住職を行い、地道に布教活動を行い、現状維持で生活する。

地域の慣例に従い〈資格無しとの判断〉出来なくなったら、法を伝えるべき兼務にお寺の事お願いする。
距離を置いた お付き合いになった場合の対応も懸念。色々な方に迷惑をかけている事をさっせられる。
今後まだ(環境が整っていない)心労をかける事〈伝法晋山式〉をあえてやろうとは思わない。
伝法式の意義か見えて来ない。
保福院檀徒総代は、寺院の代表として、色々な方に(田方寺院等)寺院の運営等を(宗仁の発言について、真偽確認の為)相談し、地域の寺院の仲間に入るには、伝法式を行わなければならないと言う事を聞かされて?、アドバイスされるまま、資金を貯め、その後の(田方寺院との)相談について不明。
この地域は、規則は建前、規則より慣例を重んじると言う傾向が強いと感じる。
諸問題は丸投げ(書類を玄関に投げ渡して帰る)で後任者に引き継ぐ事になる。

今後の寺院運営優先順位。
① 寺院の存続。(色々の価値観があるが、檀徒参加により寺の維持が継続的に出来る体制を維持していく。)
② 布教活動出来る環境つくり。(色々な価値観があるが、檀徒参加による行事(布教)を継続していく。)
③ 自分の事について。(協力して頂ける方がある間は、現状維持の生活をしていく。)
地域の慣例と言うものに、その都度対応をせまられ、その慣例が都合により変わる為、
過去においての問題(色々の人の意見)をまとめきれず、現在に至っています。
住職としての慣例の為、権限が発揮出来ず、和合の為、妥協と黙認の結果の
言い訳しても、すべての責任は自分〈深沢宗仁〉にあります。
もりたてて頂いて、活躍〈布教〉できる環境がととのう。
檀徒の気持ちも、当方の気持ちも価値観も、その都度変化している。
管長様より、保福院役員に対して、寺院運営等についてお話して戴きましたが。

過去より根強い僧侶〈一方的な話が、代々語り継がれている。〉に対する不信感?。
寺院運営を護持会が行う。
すべて役員に任せろとの言葉通り(葬儀と法事以外)役員に判断に任せる事が和合であると妥協して来た。
(現実は、役員、檀徒に都合よい解釈で運営されているよう、⇒葬儀法要戒名の事についても介入するようになって来た)

檀徒が、自分達でお寺を守って行くとの姿勢は寺院運営する上ではプラスと思う。
布教活動するには今後さらなる努力が必要と思われる。

伝法晋山式を行ってから、寺院運営を護持会から引き継ぐ。

儀式を行うまでは地域では半人前?。
〈儀式をやって檀徒、地域寺院、に認められ、地域寺院の仲間になる。〉
寺院運営の基礎、慣例による幻住派の法式、区内の内規、規則の存在。
(内容がわかりにくい、対象者不明、拘束力が有るのか不明、罰則有るのか不明。)
慣例も、その都度、その時の都合(多数決意見)でかわる。?→ 解釈も変われば対応もかわる→矛盾が出てくる。
本来、寺院規則や宗制を中心に寺院運営をするべきと思うが、現状はそのように行かない。?
住職が住職(寺院の代表者)として地域で認められ、→宗制上の組寺、法類と宗制に記載されている立場で話ができる。
慣例で、住職が半人前との扱いの場合、役員の合議によって、管長様や宗務支所に相談して寺院運営する?。
護持会役員(檀徒の総意)と管長様の話し合い、護持会役員(檀徒の総意)宗務支所長との話し合い。
その事を後ろ楯として、(問題が起きた時は相談)寺院運営の方針を決める?。
現在問題おきても、組寺法類は介入してもらえず、 → 環境がととのはない。
(宗務支所長対応)

檀徒総代(宗務支所長のみ相談)、慣例優先、組寺法類と話しあい拒否(無視)?。
宗務支所長の言葉(意向)が田方寺院の総意と檀徒に説明?。
過去より根強い僧侶〈高圧的対応?。〉に対する不信感?。
過去より同じ事のくり返し今に至る。
檀徒総代(宗務支所長のみ相談)、慣例優先、組寺法類と話しあい拒否(無視)?。
なぜそのようになったか檀徒の思いは、相談者不信感による方向の変化?。
自分達には自分達の価値観がある。自分達の寺は自分達が守っていこうと言う気持ちが強い。
先祖代々お寺を護り続けて来ている。自分達の価値観認めてくれる者と相談する。
過去の不信感→僧侶の行い等に対して。
住職の言っている事は信じられない→手順をふんでお寺の問題を相談、法類寺院が檀徒総代の思いを受け止めてもらえなかった。管長様に相談しろと言われて出向くも、結果的に、総代が辞任する事になった。相談する相手を、兼務前任者、興聖寺三宅一道氏、宗務支所長、に変更?。
住職としては、お寺の問題は、法類寺院、組寺寺院、檀徒総代、住職と話しをしてほしいと発言。
伝法晋山式の事も、兼務前任者興聖寺三宅一道氏、宗務支所長、に相談した結果行う為の資金貯金を決定?。相談の結果?。平成25年までに伝法晋山式を行うように予定していたようである。
伝法晋山式の件、檀徒総代と相談相手との話がうまくいかず現在に至っているようである。

今の役員(平成19年)は過去の事として、〈過去の役員が行った事の対応〉取り合わない。
自分たちではなく、後の役員(平成20年)が判断するとの事。
文章の内容が、有る意味愚痴と解釈されると思われる。
今後とも、根気強く布教活動に努力するつもりです。
言い訳しても、すべての責任は 自分〈深沢宗仁〉に あります。どのような問題を対応してきたかの記録です。
過去より根強い僧侶〈高圧的対応?。〉に対する不信感がある為?、又は個人(深沢)に対する不信感。
希望通りに〈お寺を存続させる事が最優先、布教が優先、その後自分の事〉役員に寺の事任せております。
総代の選出は護持総会に於いて3年に一度、位階に関係なく順番回って来るらしい。

総代の立場と言うのは、  個人の意見では無く、  檀徒の総意 によって  発言 行動 しているらしい。
個人的意見で 住職よりの 発言や行動は、その地域で生きて行くには 生活しずらくなるらしい。

資料として、過去の問題についての経緯は下記記載、一部抜粋
自分なり(深沢宗仁)の過去の見方が記録されています。
臨済宗円覚寺派国清寺(伊豆の国市奈古谷)末寺は和合の為、
〈幻住派〉伝法晋山式〈儀式を行う事前提として〉を行わなければ、(中峰国師の法を伝えるだけの力が無い者、地域で法を伝えるだけの力が無いと認知された者)地域の寺院としては、一人前(伝法式をおこない師家より中峰国師の法を嗣ぐ者)、対等(仲間)として、あつかわない、との、慣例ありとの事?。

幻住派の法を尊重して、伝統を引き継ぎ和合を保ち、地域の慣例に従い、
地域寺院と同等な価値観の上で協力し合い、檀徒の信頼をえる為の儀式らしい。
行わないと言う事は、〈地域において〉同等な価値観で地域のお寺とお付き合いはしないと言う解釈。?
国清寺末は幻住派とし伝法晋山の式をしなければ、幻住派での地位は沙弥職同等との事。〈現在不明〉
関係者立ち会いで、 衣の引き継ぎ儀式をして、幻住派の法を嗣いだ住職として 地域寺院の仲間に入る。
衣の引き継ぎ儀式が行われない場合は、幻住派の法を嗣ぐ事が出来ず、幻住派の僧の仲間には入れ無い。?
興聖寺の弟子である。保福院、宗仁の〈紫〉衣は、興聖寺、三宅氏に渡してある、手順をふんで、保福院が幻住派の仲間に入る儀式が済まなければ、幻住派(圓覚寺派)では、法階もあげられず、法階をあげなければ、紫の衣も着て法要儀式が出来ない?。
師が弟子を一人前と認めなければ、→(師の協力が無ければ)儀式を行う事は出来ない。
(師の協力が無ければ、地域の寺院は)幻住派としては引き継ぎを認めない?、→協力もを拒否、?
当方が心労をかけたせいかも知れない → 〈興聖寺三宅一道氏は隠居してしまった。〉

法を嗣ぐと言う事がどのような意味をもつかによって、(法を嗣がない)寺院の運営にも影響が出てくる。
通常の 地域の寺院問題は (国清寺開山忌、施餓鬼の席の会合で) 地域寺院の話し合いで 決定する慣例。
慣例がどの程度の拘束力が有るのか不明。
後任住職が、興聖寺で伝法晋山式を行った時点から?、幻住派の法を嗣ぐ者となり、三宅氏に渡した、保福院の衣も引き継ぐと言う事になる。衣も引き継ぐと言う事は法を嗣ぐと言う立場になり、
法〈衣〉を引き継がない宗仁は(地域寺院の価値観により排除される対象?)隠居する事になり、
興聖寺の法を引き継いだ者が、かつて、三宅氏が兼務していた寺、福聚院、保福院、に法を伝える立場となる。? → 慣例では次の福聚院、保福院兼務候補は伝法晋山式後の興聖寺和尚、、、。と相談?。
慣例で、 何れは檀徒と話し合い、
後任の興聖寺和尚は福聚院、保福院の(前任者、興聖寺和尚は檀徒の気持ち理解、負担が少ない。)兼務住職となる見込み。
儀式を伝える事により地域の和合と宗派の威厳が保たれていると言う事らしい。

二十三歳ノ時、第一回ノ改革提案スルガ、役員拒否、ソレニ先立チ庫裏建テカエルガ、
檀徒個人ノ寄付負担ハ一円モナシ、この件についての責任役員議事録以下の通り
責任役員議事録
日時 昭和五十七年一月二十日 午後七時零分 場所 寺院事務所
出席者 代表役員 三宅一道 責任役員 梅原一衛 土屋富雄 萩坂一夫
定刻代表役員 三宅一道は、議長となり開会を宣し、本会は適法に成立した旨を述ベ、
下記の議案を附議した。 議案 庫裡立て替えに関する件。
議長は当院境内建物が昭和三十三年、狩野川台風により流出され、昭和三十五年五月古い建物を解体移築し、以来二十二年間屋根、周壁の修理を重ねながら今日に至っている事を説明し、
現在は修理不能なまで老朽化している為、建て替えたい旨を議場に諮ったところ、満場一致をもって賛成可決した。
費用は普通財産及び臨時寄付金。 工事業者 は 町内 株式会社 佐藤工務店 。
以上をもって審議を終了したので、議長は閉会を宣し、 午後七時四十五分解散した。
上記の通り決議を明確にするため、議長及び、出席責任役員、は次に記名押印する。
昭和五十七年一月二十日 議長(代表役員) 三宅 一道 印
責任役員 萩坂 一夫 印 責任役員 土屋 富雄 印 責任役員 梅原 一衛 印
上記は原本と相違ありません
※ 深沢せい名義の土地を深沢喜代子相続、庫裡に永住する事条件→保福院に寄付、土地売却庫裡建設資金にあてる。
※疑問点、費用は普通財産及び臨時寄付金。と書いて有るが(寄付金名簿が存在しない。?)
伝法晋山式は先送り→財産引き継ぎはしない?。寺院財産管理、寺院運営は護持会中心で行う。

三十三歳ノ時、第二回ノ改革提案スルガ、役員拒否。。
本山よりの調査が来たとの事、総代対応せず→対応は土屋忠一氏、佐藤実氏が対応との事(会話の内容不明)総代梅原一衛氏、山本義男氏辞任。住職は管長様から頂いた名前(宗忍)返し、改名届け出し名前(宗仁)変更。本来住職含め連帯責任である。
(役員の辞任ついては、→なぜこのようになったのか、檀徒に説明しなくてはいけないが、法類寺院、高岩院黒石和尚にも迷惑がかかる為、説明せず?)、
↓↓↓↓↓                (総代相談→法類高岩院、黒石和尚→足立管長に相談するよう総代に話す→総代足立管長に相談に出向く)
檀徒総代、梅原一衛氏。護持会副会長、土屋忠一氏。両人死亡、並びに責任役員、山本義男氏死亡。
上記の件について、護持会側の記録は議事録に記載されていると思われる。
規則にそって法類に相談、法類より管長様に相談するように話され、上記の結果となった?。
以後、総代はお寺で問題が起きたとき、相談は法類では無く、宗務支所へ行っているようである。
経過 
平成二年一月十四日、檀徒総会、早い時期に本山(鎌倉円覚寺)へ(筆頭総代梅原一衛氏以下)総代が(檀徒の総意として)新年挨拶がてら参上し、老師(足立大進氏)の勘弁を借りたいので都合などを問い合わせる
平成二年二月七日
二月七日(水)九時十五分、総代とともに本山に出向く。総代本山に行かずに直接管長宅に出向く。当方本山に挨拶後管長宅に出向く。総代と管長の話し合い当方同席せず、本山挨拶終わって、当方管長に挨拶、管長一方的に当方に話され、(総代には強い意志がある、檀徒の総意→場合によっては、住職、母、寺から追放、総代にすべて任せろ)過去より現在まで、僧侶に対する根強い不信感。
 ↓      ↓     ↓               ↓          ↓  
保福院役員が管長様に、新年の挨拶に出向きたと言う事で、(法類黒石和尚の話無視出来ず)不本意ながら〈深沢宗忍の事で、保福院総代が、高岩院住職、黒石和尚に相談、→管長様に相談したらとの事らしい。→総代→本山に2月7日出向く事決定?。〉役員共に管長様に新年の挨拶に出向く。宗忍〈住職先に宗務本所に挨拶〉が管長様に挨拶行く前に、直接、檀徒総代だけで、管長様に、檀徒の総意として話しをしていたらしく、その席(総代が困っていると言う事を話した後)に宗忍が出向いた時、
管長様の話は、(言い訳無用、釈明も出来ず、総代の言うと通りにしろとの事)役員同席デノ意見発言ナノデ、住職中心デ寺院運営ハ、(管長様のご意向、寺院運営、役員に任せろ)無理トナッタ。
※、管長様は、総代に責任持って任せる事で、 過去より根強い僧侶〈高圧的対応?。〉に対する不信感?。
問題解決はかろうとして下さろうとしたようである。
総代は以後、管長様の言葉を(たてに)、護持会中心の寺院運営となっている。
以後数回、うちわの問題を(役員の思惑、保身の為)規則を無視し、手順をふまず、鎌倉に出向き、一方的に話しをし、管長さんに迷惑かけたらしい。
繰り返し迷惑かけない為に(護持会中心の寺院運営)妥協した。 
問題が起こるたび、出向かないでくれと話しても、縁が出来てしまうと、辺り構わず出向いて自分達の主張を貫こうとする。
このような慣例が出来た事は → すべては自分の責任と思っております。
七月下旬、管長様より連絡。檀徒の総意直訴→こちらもかばってやるにも限度があるとの事。→〈檀徒と和合〉
平成三年七月総代―お寺の財産管理上、深沢晋のハンコではまずいので、代表役員のハンコつくれとの事〈護持会管理〉。過去より根強い僧侶〈高圧的対応?。〉に対する不信感?。
七月二十二日午後四時、役員会、全員出席。総代よりこんな坊主、いなくよいと、言う意見もあると発言。(萩坂総代)
七月二十六日、午後一時半、韮山、高岩院、黒石氏宅に行く、総代四名と当方。
当方は行きたく無かったが、総代の強い申し出により出むく。
(管長様との話内容→護持会で寺院運営を任された事報告?。→護持会で寺院運営→法類寺院も承諾してほしい?。)
今後も護持会で維持運営の報告。管長様から話された事の報告?。伝法晋山式は先送り→財産引き継ぎはしない?。
平成三年八月四日梅原一衛氏(責任役員と檀徒総代辞める)辞表を出す。



d@(d)htzs@4g\h.4ここまで。





















追記
円覚寺派宗制第百五十一条・
住職ハ、寺院ヲ主管シ、コレヲ代表スルト共ニ寺院ノ発展興隆ト護持ニ努メ、ソノ機能ヲ発揮シ、仏種ヲ紹隆シ、正法ヲ扶植スル為学徒ヲ養成スル。


出来ることは宗制、規則に従い行って来た。
(住職で有るが寺院を主菅せず、護持会に任せる)


弟子も、跡継ぎもつくる努力はしてきたが、
残念ながら関係者の協力をえられず現在に至る。


※臨済宗円覚寺派宗制抜粋。
臨済宗円覚寺派宗制第148条(財産管理の方法と指示)

管長は必要と認めたときは、
財産状況について報告を求め又は管理の方法を指示できる。


寺院の維持運営及び、財産管理は、引き続き、護持会で行う。


d@(d)htzs@4g\h.4ここまで。


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